コミュニティの再生についての断章

小さな広場と街路の連続としての「代官山ヒルサイドテラス」


K&FACTORY設計事務所のページや、関連会社である株式会社ソーラーポートのページに、コミュニティの再生に関連したいくつかの文章をupしています。個人住宅には直接関係ありませんが、集まって住むという上で何を考えなくてはならないか、アメリカの1960年代で起こった「街路の復権」運動と、それを実現した日本の代表例について書きました。興味のある方は是非。


アメリカで1950年代、近代建築運動が押し進めた高層集合住宅が、コミュニティを如何に破壊したか、それに対して街路の復権をとなえ、主婦を中心とした住まい手の運動として対抗し、ニューヨークの街並み保存等で結果を出したジェイン・ジェイコブズについて(今、ドキュメンタリー映画公開中です)

「アメリカ大都市の死と生」ジェイン・ジェイコブズ著

ジェイン・ジェイコブズ-ニューヨーク都市革命-

それに合わせ、日本で街路と小さな広場を連続させ、コミュニティを長い年月をかけて形成した代表例として、代官山ヒルサイドテラスを紹介しています。

代官山ヒルサイドテラス-街路の復権

資産としての住宅

コラムのページに資産としての住宅のページを追加しました。なぜ日本の住宅そのものが資産価値をもたないのかについて、戦前の住宅のあり方から戦後の持ち家政策の流れをふまえた考察です。これからの土地利用を考えている方など、お時間があるとき是非。

資産としての住宅

北欧の木造住宅断熱デザイン

日本の住宅の断熱基準に比べて、ヨーロッパ諸国、特にドイツ、イギリス、北欧諸国などは、厳しい断熱基準を設けていることはこのホームページでも何回も述べています。それは木造住宅でも変わらなく、グラスウールやロックウールによる断熱層だけで30センチから40センチになるものが一般的です。現在の日本の基準で、一般的に断熱材の厚さが10センチ、北海道でも15センチというのに比べて倍以上の厚さになります。

これだけ厚い断熱層を必要とする基準のため、施工方法はまず日本に見られる2×4に似た木の構造体、具体的には45mm×195mmの縦枠下地の中に、断熱材を入れるだけでなく、建物の外側、内側にも入れます。いわば、躯体断熱、内断熱、外断熱のセットになっているのです。三重の断熱システムで、外断熱もあるため、躯体が守られることにもなります。日本の木造住宅が保たない原因のひとつが、木構造の結露による痛みですが、これが外断熱という形で防げることで、木造住宅でも寿命を伸ばすことができます。また、サッシュも単にペアガラスというだけでなく、二重、三重のサッシュで、木造サッシュも多く取り入れられています。

上で述べたように、二重、三重の断熱に守られた家は、わずかな暖房だけでも、冬でも全室が暖かいです。よって、ヒートショックが起こりにくい家になります。寒い冬でも暖かい北欧のくらしは、寒さを我慢して結局からだを傷めている日本人とは対照的です。 私たちは、木造住宅は寒いものだという常識を捨てるべきでしょう。ヒートショックに関しては、実は寒い東日本より西日本の方が多いという統計報告もあります。断熱が比較的なされている北海道、北陸などの寒冷地、豪雪地帯だけでなく、西日本を中心に住宅の断熱基準を見直すべきだと思います。


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コンクリートの美学→ルイス カーンから安藤忠雄へ

ルイス カーン設計のキンベル美術館。ウォールトの頂点にスリットが入り、上から光が差し込まれて反射板によりコンクリート仕上げの天井を照らす。後に安藤忠雄がコンペを勝ち抜き、隣地にフォートワース美術館を設計する。


 

RC住宅の歴史の項でも述べたとおり、鉄筋コンクリートの歴史は意外と浅く、発明されたのは19世紀半ば、実際には20世紀に近代建築とともに広まった技術です。その自由な造形性と、人口増加や世界大戦による住宅不足に対応する技術として、コンクリートは世界中で使われる技術となりました。

最初は技術として広まったコンクリートですが、やがてそれを素材として積極的に美学として生かそうという流れが生まれます。その最初はブルータリズムという、イギリスを中心に起こった潮流です。タイルや塗装などをせずに、コンクリートをむき出しのまま使い、その荒々しい肌ざわりを生かした建築で、彫塑的な迫力を建築にもたらします。その影響は日本にも及び、今でも東京で見られるものとしては、たとえば前川國男設計の東京文化会館などがそれにあたります。

コンクリート打設の技術が向上し、表面を保護する保護材なども発達、滑らかな表面仕上げのコンクリートが打てるようになります。その代表的作品がルイス カーン設計のキンベル美術館でした。
ルイス カーンは1960年代にアメリカで活躍した建築家で、この美術館は晩年の傑作です。滑らかなコンクリートの壁と、その上に乗る連続したウォールト屋根が特徴で、多くの建築家が影響を受けました。その代表が日本の建築家安藤忠雄です。
彼の影響を受けて、作られた安藤設計の初期の小住宅群、その中のひとつ「住吉の長屋」が、日本のコンクリート住宅デザインの流れを決定づけます。この影響は、21世紀になった今でも続いています。ただし、断熱など、それ以降に浮上した省エネルギーの流れもあり、コンクリートの使い方も変わってきました。安藤忠雄も、最近のものは屋上緑化を施すなど、断熱性能を考慮してデザインしています。
コンクリートは、通常ベニヤの型枠によって成形されます、それに対してRCZシステムは、システム型枠のため、滑らかなコンクリートを打つことができます。これが生まれるまでには、先人たちの長い技術の蓄積と、美学の追求があったのです。


住吉の長屋、中庭を挟んで部屋が対峙し、雨天時は傘をさしてトイレに行かなければならないプランは一般人でも知っているくらい有名。当時この建物を見学した重鎮の建築家が、設計者より住んでいる施主が偉いと言ったとか、後に安藤自身がそろそろ中庭に屋根をかけたらと施主に進めたところ、何をいまさらと一蹴されたとか、ここまでくると伝説的なエピソード多数。


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ル・コルビジェとアイリーン 追憶のヴィラ

もう公開が終わってしまったのだけれども、「ル・コルビジェとアイリーン 追憶のヴィラ」という映画が公開されていました。ちょうどバタバタで何も見られない時期で見落として、最近気がついたわけです。アイリーンが「アイリーン グレイ」を指しているとは気がつかず。。。アイリーン グレイはずっと好きな建築家/デザイナーでした。 ちょうど私が大学院のころ、近代の見直しが盛んで、私は日本の近代住宅とともに、ヨーロッパの近代建築も追っかけていて、そこで、アイリーン グレイを発見したわけでした。彼女の本はまだ日本では翻訳されていなくて、小池一子さんの翻訳が出たのが1992年、買って読んだことを覚えています。 アイリーン グレイのデザインは、他の流れから全く自立し、突然出現したもので、彼女がもともとアール・デコのデザイナーであり、建築は後から自己流で学んだものだったりすることから来ています。この家具のデザインなど、とても100年近く前のものとは思えません。(私も持っていた)。




本人と恋人で建築家/編集者のジョン、パドウィッチのために、住宅E.1027のための家具としてデザインされた。ベッドサイドに置き、朝食をつまむためにデザインされたとのこと。高さも調節できて、本当にそう使うと便利だった!

面白いのはパリで漆の日本人職人、菅原精造の薫陶を受け、デザインに取り入れているということ。この人や、ピエール シャロー「ガラスの家」など、1920年代に、普通の建築家とは別の流れでデザインされたすごくカッコいいインテリアデザインがいくつか現れ、それがモダンデザインを牽引していったように思えます。 「住宅E.1027」は、近代建築の巨匠、ル・コルビジェが賞賛し、挙げ句の果てにインテリアに勝手に絵を描いて、アイリーン グレイと微妙な関係になったというエピソードが有名で、この映画もその頃を描いています。この当時のインテリア写真を見ても、いかに革新的なデザインだったかがよくわかります。 映画をDVDで観ると、やはり現地でロケされたアイリーン クレイ設計の住宅「住宅E.1027」のインテリアが素晴らしくて、主要キャストと同じくらいの魅力を放っていました。しかし、こんなマニアックな話が映画化されて、それが日本に入ってくるとは、、、あと、ヴァンサン ベレーズは久々見たな。 追記、近年、フランス政府が土地を買い取り、隣接するル コルビジェ設計の海を望む「休暇小屋」とあわせて「住宅E.1027」が補修され、一般公開されたとのこと、こちらのサイトを参照下さい。


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