UR集合住宅歴史館訪問

K&Factoryのページに、先日訪問したUR集合住宅歴史館についての記事をアップしています。貴重な模型や、現物の移設など、日本の住宅の歴史が手に取るような展示内容です。ご興味のある方は是非。

UR集合住宅歴史館訪問その1-同潤会アパート

UR集合住宅歴史館訪問その2-晴海高層アパート

UR集合住宅歴史館訪問その3-戦後最初期のシステムキッチン

SANNAの小品/大倉山の集合住宅

中庭見上げ、曲面を描くコンクリート打ち放しの壁が空を切り取る。

大倉山ヒルタウンを見た流れで、大倉山の駅の近くにある、世界的建築ユニット、妹島和世+西澤立衛/SANNAの設計の集合住宅を見た。

小さな敷地にレイアウトした集合住宅。特徴的な曲線の分割により、小さい敷地に豊かなオープンスペースを生み出している。何より敷地の中を風が吹き抜けていくのが心地よい。それが体感できただけでも見に来たかいがあった。

通り抜けの街路として人が通過していた。パブリックが敷地の中に引き込まれている。駅からの近さもあるせいか、SOHO的に使っている入居者が見受けられた。これもコミュニティスペースの新しい在り方か。

駅前からここへ来るときに、何か地図を片手にうろうろしている外国人カップルが、、声を掛けたら、やはりこの建物を見に来た建築家だった。これも新しいコミュニティの要素か。。。その方々には近くにある大倉山ヒルタウンも教えてあげました。


大倉山ヒルタウン/ヴィンテージマンションの魅力←この建物のそばにある関東を代表するヴィンテージマンション。丘と一体化した森の中の集合住宅。

湯島天満宮への参道/江戸の街路

「湯島天満宮」正面、背後には当事務所がある「湯島ハイタウン」この写真をみるとなぜ岩崎弥太郎がここに自邸を設けたかがわかるような気が、、、


最近、街路について考えることが多く、そんな中で私たちの事務所のそばにある「湯島天満宮」通称「湯島天神」への参道について、スケッチ風にちょっと述べてみたい。

湯島天満宮は、江戸、東京の代表的な天満宮である。学問の神様である菅原道真公を祭っているということで、受験シーズンの合格祈願が多い。私も高校受験の時祈願に来たくらい。それほど有名なのに、境内はそれほど広くない。もともと周囲を見渡せる丘の上に建っており、アプローチがいくつもあって、それぞれが特色があるところが面白い。

「湯島天満宮」正面参道、銅鳥居越しに見る。これがメインアプローチ。高低差なく入ることができる。普通は正面性を意識したアプローチ一本が多いのだが、「湯島天満宮」はメインアプローチが6本あり、それぞれがユニーク。

こちらは湯島ハイタウン側から「夫婦坂」春日通りにつながる。丘の上にあるので、階段でのアプローチになる。もうひとつの異世界への入り口。

西側からのアプローチ「男坂」参道には店舗がちらほら、江戸時代はこちら側に出店が並んでいたとの事。

「男坂」見返し、江戸時代はさぞ見晴らしが良かっただろう(富士山が見えたという話)。鳥居をくぐってを降りて行くとラブホテルなどなどがある界隈につながっている。江戸の遊興空間との連続性がかいまみえる。

それを折り返すような、「女坂」、ゆるやかな斜行通路があるのが面白い。なんかカンピドリオへの坂道を思い出す。参拝客が多かったんだろうなあ。江戸時代のスロープまたはエスカレーターのようなものか。。

「男坂」「女坂」をつなぐ街路。緑あふれる場。江戸時代からここは変わらなかったのだろう。歴史ある石垣がそれを感じさせる。「湯島天満宮」は江戸のころから緑の丘の上の天満宮だったのだ。

このように、鳥居が何本もあって、それぞれ特色あるアプローチをもつ社寺は意外と少ない。丘の上に建つ「湯島天満宮」は、江戸のそして日本の特徴的な街路と参道の記憶を残していると思う。


こちらは福岡にあるホテルイルパラッツオ、「湯島天満宮」とは対照的な正面性をもったヨーロッパ的広場とファサード、周辺の日本的空間との対比の話は→ホテルイルパラッツォ/アルド・ロッシ/都市の建築

日本的空間と比較するとその違いが良く分かって面白い。

その日本的空間の特性を生かしているのは「代官山ヒルサイドテラス」→代官山ヒルサイドテラス/街路の復権

湯島ハイタウンについて、岩崎弥太郎自邸の門に建てられたマンション、この地域の歴史が面白い。→湯島ハイタウン/日本最初期の高層マンション

コミュニティの再生についての断章

小さな広場と街路の連続としての「代官山ヒルサイドテラス」


K&FACTORY設計事務所のページや、関連会社である株式会社ソーラーポートのページに、コミュニティの再生に関連したいくつかの文章をupしています。個人住宅には直接関係ありませんが、集まって住むという上で何を考えなくてはならないか、アメリカの1960年代で起こった「街路の復権」運動と、それを実現した日本の代表例について書きました。興味のある方は是非。


アメリカで1950年代、近代建築運動が押し進めた高層集合住宅が、コミュニティを如何に破壊したか、それに対して街路の復権をとなえ、主婦を中心とした住まい手の運動として対抗し、ニューヨークの街並み保存等で結果を出したジェイン・ジェイコブズについて(今、ドキュメンタリー映画公開中です)

「アメリカ大都市の死と生」ジェイン・ジェイコブズ著

ジェイン・ジェイコブズ-ニューヨーク都市革命-

それに合わせ、日本で街路と小さな広場を連続させ、コミュニティを長い年月をかけて形成した代表例として、代官山ヒルサイドテラスを紹介しています。

代官山ヒルサイドテラス-街路の復権

建築散歩も兼ねて、、、千駄木の鴎外記念館(素晴らしい外装タイル貼り)

アプローチから大銀杏を見る。鴎外邸の庭にあった大銀杏をそのまま残し、シンボリックに見立てています。


最近ブログで良いので、事務所周辺の良い建物をご紹介下さい、というお話があったので、前回の上野公園の話と絡めて、建築、いや住宅の仕上げ材という観点から、事務所から歩いて行ける範囲の建物について書きます。

千駄木にある文京区立森鴎外記念館、森鴎外の自邸があった関係から、この場所に記念館を立てることになり、陶器二三雄建築研究所の設計により、2013年にオープンしました。何より特筆すべきはその外観であり、煉瓦タイルの仕上げが素晴らしいです。実際、一度煉瓦タイルで仕上げた後、サンダーでヤスリをかけ、全体の質感を統一したとのことです。建物を見に行くと統一感があり、建物のマッス全体で迫ってくるような、私の敬愛するアルヴァロ シザの建物のような、日本建築になかなかない存在感を示しています。しかも、周辺の住宅スケール感に合わせてあり、タイルの質感と合わせ、環境に溶け込んでいるところも素晴らしいです。近隣にお住まいの方、実に居心地のよい空間なので、お時間あったらぜひ寄ってみて下さい。こういう建物を長い年月に耐えられる建築と呼ぶべきだと思います。


外壁ディテール、職人達の手仕事が精緻な納まりを支えています。煉瓦タイルの選択は、森鴎外の留学したドイツのイメージとも重ね合わせているそうです。

光と影だけで豊穣な空間を生み出しています、しかも、周辺スケールから突出せず、溶け込んでいるところが凄い。文豪、森鴎外の精緻な文章につながっているように思えます。千駄木に合った建物です。空間のスケール感、素材の扱いなど、ここまで精緻なものは難しいですが、住宅デザインにも大いに参考になると思います。


関連ブログ(建築素材シリーズとして、また建築散歩としてもお読み下さい。)

前川国男の外装/上野公園の建築3題

古びない素材としての煉瓦