UR集合住宅歴史館訪問

K&Factoryのページに、先日訪問したUR集合住宅歴史館についての記事をアップしています。貴重な模型や、現物の移設など、日本の住宅の歴史が手に取るような展示内容です。ご興味のある方は是非。

UR集合住宅歴史館訪問その1-同潤会アパート

UR集合住宅歴史館訪問その2-晴海高層アパート

UR集合住宅歴史館訪問その3-戦後最初期のシステムキッチン

斎藤助教授の家/「日本の家」展を見て

住宅は公共建築とは違い、よほどのことがない限り現物を見ることはできない。しいて言えば建築つながりということで、コネクションや教育の一環の中での建築家の自邸を体験させていただいた。学生の時見た吉田研介さんや穂積信夫さんの自邸はやはり未だに記憶に残っている。あとは知人の住んでいた宮脇壇の松川ボックスで食事をしたり、大倉山ヒルタウンに泊まったりなど、住宅、とくに個人住宅については現物を見たり、ましてや体験することができるのは限られている。

昨年国立近代美術館で開催された「日本の家」展で展示された、清家清設計による斎藤助教の家の原寸大モックアップ、この実物を見られたのは衝撃的だった。何せ学生時代研究していて、白黒写真と図面しか見たことがない住宅が目の前にあらわれたのだから。

この写真は新建築に発表された有名な写真。この写真と平面図を見ながら空間を想像し、日本の近代住宅史を考えたのが大学院時代の研究だった。

さて、現物を見て感じたのは、意外と低さを感じない天井の高さとか、家具の配列による見事な空間の仕切りとか、やっぱり上手い建具の扱いとか、いくつもあるけど、やはりそれ以上に、あの古き写真で見た空間の浮遊感は、やはり想像するしかないな、ということだった。屋根の薄さと、キャンティレバーで持ち出された基礎、、、おもえば、ずいぶん前に開催された、森美術館のル・コルビジェ展で、マルセイユのユニテの再現モックアップが置かれていたけれど、実物を見た私としては、やはり美術館のインテリアに再現された空間には体験として限界がある。あのマルセイユの、地中海の陽光と、あの空間は密接に結びついている。ということで、この斎藤助教授のモックアップも、より実物を想像するための手がかりにすぎない、いかに建築は場や、実際の太陽光線等に支配されているか、ということを再認識した次第でありました。図面や写真から読み取れる浮遊感や軽快さは現場に行かなければわからないわな。。。まあ当時と違ってもはや周辺環境も市街化されて激変していると思うのだけど。。。

モックアップを見て、むしろ想像することが多く、イメージが膨らんだ。それは建築とインテリアの違いだし、清家さんの建築がいかに場と結びついているか、という証明だとも思うけれど。上にある、清家さん自身が描かれたパースなんてほんとに空間のイメージがつたわる。


戦後最初期モダン住宅の魅力/清家清自邸

 

湯島天満宮への参道/江戸の街路

「湯島天満宮」正面、背後には当事務所がある「湯島ハイタウン」この写真をみるとなぜ岩崎弥太郎がここに自邸を設けたかがわかるような気が、、、


最近、街路について考えることが多く、そんな中で私たちの事務所のそばにある「湯島天満宮」通称「湯島天神」への参道について、スケッチ風にちょっと述べてみたい。

湯島天満宮は、江戸、東京の代表的な天満宮である。学問の神様である菅原道真公を祭っているということで、受験シーズンの合格祈願が多い。私も高校受験の時祈願に来たくらい。それほど有名なのに、境内はそれほど広くない。もともと周囲を見渡せる丘の上に建っており、アプローチがいくつもあって、それぞれが特色があるところが面白い。

「湯島天満宮」正面参道、銅鳥居越しに見る。これがメインアプローチ。高低差なく入ることができる。普通は正面性を意識したアプローチ一本が多いのだが、「湯島天満宮」はメインアプローチが6本あり、それぞれがユニーク。

こちらは湯島ハイタウン側から「夫婦坂」春日通りにつながる。丘の上にあるので、階段でのアプローチになる。もうひとつの異世界への入り口。

西側からのアプローチ「男坂」参道には店舗がちらほら、江戸時代はこちら側に出店が並んでいたとの事。

「男坂」見返し、江戸時代はさぞ見晴らしが良かっただろう(富士山が見えたという話)。鳥居をくぐってを降りて行くとラブホテルなどなどがある界隈につながっている。江戸の遊興空間との連続性がかいまみえる。

それを折り返すような、「女坂」、ゆるやかな斜行通路があるのが面白い。なんかカンピドリオへの坂道を思い出す。参拝客が多かったんだろうなあ。江戸時代のスロープまたはエスカレーターのようなものか。。

「男坂」「女坂」をつなぐ街路。緑あふれる場。江戸時代からここは変わらなかったのだろう。歴史ある石垣がそれを感じさせる。「湯島天満宮」は江戸のころから緑の丘の上の天満宮だったのだ。

このように、鳥居が何本もあって、それぞれ特色あるアプローチをもつ社寺は意外と少ない。丘の上に建つ「湯島天満宮」は、江戸のそして日本の特徴的な街路と参道の記憶を残していると思う。


こちらは福岡にあるホテルイルパラッツオ、「湯島天満宮」とは対照的な正面性をもったヨーロッパ的広場とファサード、周辺の日本的空間との対比の話は→ホテルイルパラッツォ/アルド・ロッシ/都市の建築

日本的空間と比較するとその違いが良く分かって面白い。

その日本的空間の特性を生かしているのは「代官山ヒルサイドテラス」→代官山ヒルサイドテラス/街路の復権

湯島ハイタウンについて、岩崎弥太郎自邸の門に建てられたマンション、この地域の歴史が面白い。→湯島ハイタウン/日本最初期の高層マンション

コミュニティの再生についての断章

小さな広場と街路の連続としての「代官山ヒルサイドテラス」


K&FACTORY設計事務所のページや、関連会社である株式会社ソーラーポートのページに、コミュニティの再生に関連したいくつかの文章をupしています。個人住宅には直接関係ありませんが、集まって住むという上で何を考えなくてはならないか、アメリカの1960年代で起こった「街路の復権」運動と、それを実現した日本の代表例について書きました。興味のある方は是非。


アメリカで1950年代、近代建築運動が押し進めた高層集合住宅が、コミュニティを如何に破壊したか、それに対して街路の復権をとなえ、主婦を中心とした住まい手の運動として対抗し、ニューヨークの街並み保存等で結果を出したジェイン・ジェイコブズについて(今、ドキュメンタリー映画公開中です)

「アメリカ大都市の死と生」ジェイン・ジェイコブズ著

ジェイン・ジェイコブズ-ニューヨーク都市革命-

それに合わせ、日本で街路と小さな広場を連続させ、コミュニティを長い年月をかけて形成した代表例として、代官山ヒルサイドテラスを紹介しています。

代官山ヒルサイドテラス-街路の復権

前川國男の外装/上野公園の建築3題

弘前市にある前川国男設計の建築「木村産業会館」について、また、仕上げ材としての煉瓦についてふれたこときっかけに、上野にある、時期を経て建てられた前川國男設計の建築3題(国立西洋美術館、東京文化会館、東京都美術館)について書きたくなった。主に外装の仕上げ材を中心に、経年変化に耐える建築としての視点からである。いずれの建物も上野公園内にあり歩いて数分、散歩で日本の近代建築の流れが体験できます。


国立西洋美術館 1959年竣工

まずは、国立西洋近代美術館から、これは正確に言うと、ル・コルビジェ基本設計、それを彼の弟子である前川國男、坂倉順三、吉阪隆正の3人がサポートして設計した建物である。

コルビジェが日本に来たのは一回、さらに送ってきた図面は数枚、よって基本的なデザインはコルビジェのものとしても、かなりの部分は前述した3人によって設計された。外装はPCパネル。高知桂浜の小石を埋め込んだものだったそうだが、剥離が激しく、結局やり替え、今はフィリピン産の小石が打ち込まれたものになっている。階段や吹抜けのデザインなど、コルビジェらしい部分も随所にみられるが、やはり私がフランスで見た、彼の設計のラ・トウーレット、ロンシャンの教会のような強烈な造形性、ものの迫力はない。PC外壁でも見られるとおり、妙にこぎれいな洗練された外装仕上げがそう思わせる原因のひとつだと思われる。ロンシャンの教会など、仕上げは荒っぽいがその荒々しさがコルビジェの造形性をきわだたせている。


東京文化会館 1961年竣工

一方、こちらは東京文化会館、前川國男の代表作といったらこれになるだろう。コンクリート打ち放しの迫力あるデザイン。なぜ、この表現が選択されたか、前川自身の興味深い発言がある。

「もともと打ち放しというのは、ぼくらがレーモンド事務所にいたときに始めたんです。(中略)レーモンドとも相談しましてね、日本の建築はタイルか石でフィニッシュするので、どうも良くないというのですよ。良くないのはタイルというのはだんご張りしてつけるだけでしょう。ついたところで弱いモルタルで目地をやるようなことですから、そこから水が入るんですよね。吹き降りのときはひどい。中に入っているのがどうしてわかるかというと、いろいろなところでエフロレッセンスがでてくるでしょう。それでいろいろ議論したところ、いっそ打ち放しでやったらどうだということになったのです。」(座談会「打ち込みタイルと美術館」新建築1980年1月号より)

当時の日本では、タイルを貼ったとしても貧弱な技術と経験ゆえ、剥離や目地の汚れなどがすぐ発生して、仕上げ材や保護剤としての効果が出なかった。よっていっそのこと打ち放しで、、、という過程がよくわかる。

しかしこれも経年変化によって汚れが目立つようになる。前川自身がこう述べている。

「戦後むやみに打ち放しをつくったものですが、これがどうも汚れっぷりがよくないわけです。(中略)それじゃあ何でやるかというと焼き物しかないんじゃないか。」(座談会「打ち込みタイルと美術館」新建築1980年1月号より)


東京都美術館 1975年竣工

1960年代後半になると、以上のような経緯から、前川國男はコンクリートに型枠に先止めした足のあるタイルを貼り打ち込む「打ち込みタイル工法」を開発し展開していく。これは高温多湿、雨や台風の多い日本の環境に合った仕上げだった。東京都美術館は打ち込みタイルを全面的に使った建築で、いまもその質感のある外観が上野の森の緑と調和した姿を見せている。


上野の前川國男設計の建物を見るだけでも、日本の建築の仕上げ材の考え方がよくわかる。そして、それは住宅の仕上げデザインにも参考になると思います。

※今回の文章は「近代建築を記憶する」松隈洋著 建築思潮研究室刊を参考にしました。


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